或る女の徒然〜子育て中〜

38歳2児の母親です。起こったことをゆる〜く記録していきます。

スニーカーとゴルフと長女

本格的な春が近い。楽しみなような憂鬱なような、毎年やってくる季節を前に、微妙な心持ちがする。

 

花粉症なわけではない。

 

新しい環境に身を置くわけでもない。

 

ただただ、春服がないのが憂鬱なのだ。

一応社会人として季節感とちょっとの流行を取り入れているつもりだが。

正直に言ってファッションは苦手だ。

センスが無い上に、スタイルも良くない。

照明がたくさんついていて、壁も床も真っ白なレディース向けのショップなんかは、そうする必要がなければ、一番足を踏み込みたくない場所だ。

未だに春服は買えてないのだが、普段ばきしている冬用のブーツはさすがに暑くなるので、スニーカーが欲しくなった。

 

夫がアディダスのスタン・スミスとか良いんじゃないと言ってくれたので調べてみたのだが、こんな感じのだった。

 

 人気のモデルらしく、街を歩けばたくさんの人が履いているらしい。

 

が、どうしても真っ白なスニーカーが見慣れない。

靴そのものに罪は全くないのだけど、似合わない様な気がしてならない。

 

違和感があるので、街行く人たちの靴観察をしながらしばらく逡巡していた。みんなおもいおもいの靴を履いている。歳をとったからと言って派手な靴を履いてはいけないなんて決まりはない訳だし、わたしがどんなスニーカーを履こうが誰も気にするわけじゃない。

そう分かっていつつも、なお真っ白なスニーカーに即決できないのは何故なんだろう。

そもそも私はそんなスポーティーな人ではないし、学生時代から一番嫌いな科目は体育なのである。いかにもな真っ白なスニーカーは爽やかで、いかにもスポーティーじゃないか?

それに加え、わたしのゴルフシューズが真っ白だったことを思い出した。

真っ白なゴルフシューズと真っ白なスタン・スミス、なんの関連性もないけれど、ゴルフが上手くいかないスポーツ苦手な自分を嫌という程思い知らされる真っ白なスニーカーはやっぱり好きになれない。

 

結婚前に、父とゴルフの練習に行っていた頃。

スイングが上手く行っていた時期なんてほんのちょっとしかなかった。

残りの時間はひたすら自分との戦いで時には涙が出るほど辛くて苦しかった。

その感情と、スイングしながらずっと目にしてきた真っ白なゴルフシューズは繋がっていたのかもしれない。

そんなに嫌なのに、なぜゴルフを続けてきたのだろう。

もしかしたら、ただ単純に、父のためだったのかもしれない。一緒に行きさえすれば、父は喜んだ。それを見ている母親も。

わたしは良い大人になってまで、両親の機嫌を取りながら生きていた。長女って、損な生き物だとおもう。両親の「はじめて」故の不安や、「こうあるべき」を一身に背負ってしまう。顔色を伺いながら生きることを覚えてしまう。

もちろんゴルフをやっていたことで、良かったことだってある。夫と出会うきっかけをくれたのはゴルフで知り合った人だったのだし。

 

とは言え、もはや、私はもう子どもではない。自立した大人だ。私の意思で選んでいいのだ。

そんな普通のことが、まだできないことがよくある。

とにかく、誰が勧めようが白いスニーカーは選ばないことにした。

 

結局夫と試着をしまくって、ユナイテッドアローズグリーンレーベルで見つけた、ニューバランスのベージュスニーカーに決定した。

これかな?

 

些細なことかもしれないけど、自分の感情を丁寧に扱ってあげることができた様な気がする。

違和感って大事だ。

夫のいない一週間

年末から三月まで、夫は隔週で某地方都市に出張に出なくてはならなくなった。

既に12月、1月とおおよそ4週出張がおわって折り返した感じである。

「ダンナは元気で外がいい」的な思想はもちろん分かるのだが、本当に正直な話、私としては非常に寂しい。

 

一番大変なのは夫自身だろう。

自宅のベッド以上に安心して眠れる場所なんてそうそうないのは、私も出張を重ねているから嫌というほど理解できる。

なるべくうまく過ごせるホテルを探すことは夫にとって最近の大きなテーマらしい。

 

東京にひとり残る私は、表面的には無難に一週間をやり過ごすことになる。

いつものように起きて、シャワーを浴びて出勤し、仕事をして、家に帰り、食事をし、眠る。

この、本当に単調な日々の繰り返しをひとりでやり過ごすということが、自分でも意外なほど、キツく感じられた。

結婚するまで、私は実家で殆どの時間を家族と過ごし、結婚してからは同じ会社に勤めている夫がいて、実質「一人暮らし」をしないで生きてきた。

最近になってようやく実家とも距離をおいて一人で日々を過ごすことに、ある意味トライしていることになる。

でもやっぱり普段いる人が突然いなくなると、その、不在がより一層強度を増してしまう。

話しかける相手がいない。一緒に食事もできない。触れない。匂いもしない。そこにはいない。

いくらLINEが便利でも、切り取り線みたいなもので縁取られた不在は埋められない。

 

自然と、人間はいつか死ぬ、なんてことを思うこともある。

夫の方が年上だし、男性の方が平均寿命が短い。私が生き残り、彼がこの世からいなくなるとき、切り取り線の不在ですらなくなってしまう。

 

そんなことを夜一人で考え、悲しくなって涙しながら眠ることも、正直ある。

 

今日は木曜日。

あと一晩耐えれば、夫は帰る。

不在に耐える練習は捗るけれど、生きてる限りは暖かさを共有したい。

 

 

 

 

 

 

 

カレーショップの話

うちの近所に子犬みたいな名前のカレーショップがある。決してチェーンでなく、恐らく古くからこの商店街で店を営んでいるんだとおもう。

ビルの二階にその店はある。店に続く細い階段は白いタイル張りで、壁にはメニューのパネルが貼り付けられている。

古くからあるのだろうなというのは、例えば店のドアノブが取れちゃってるところから分かったりする。入る時は引き戸なので取っ手は不可欠。そこに確かに存在するのだが、帰る時は押し戸なのでドアノブが取れて無くても全く困ることはない。

喫煙席のソファは赤いベロア張りで、年季がはいっているかのような雰囲気を醸すが、そこまでボロボロということは全くなく、清潔感があった。店のおよそ半分の木の椅子の方が、所々剥げてしまって心地よい古さを醸している。

 

私がこの店に初めて来たのは旦那とともにこの街に引っ越して来て間もない頃のように思う。

正確には忘れてしまったが、窓際の禁煙席に座ったような気がする。

窓側は、商店街の街並み人通りが二階から見下ろせ、なかなか良い席だ。あちらから老夫婦がゆっくりとあるいてくる。こちらからは、ジャンパー姿の男性が乗った自転車がスピードをおとしながらすーっとやって来る。何かの楽器をもった学生らしい女性やサラリーマン、スーパーの袋からネギの頭をのぞかせた主婦、その右手には3歳くらいの男の子。そんなありふれた人々の行き交う流れを何と無く上から眺めるにはもってこいなのであった。

カレーはとても美味しい。しかしそれにもまして、安さが大きな魅力だ。店の名前のついたカレーセットはサラダとコーヒーがついて630円だし、ミニサイズなら530円。 

トッピングをつけたければそれも良い。

もっと食べたければスパゲティ(決してパスタとは呼ばない)をつけることもできる。

カレーだから、食事が提供されるのも早い。

 

店には漫画本も結構置いてある。少年〜青年マンガばかりだが、カレーを食べたあとはコーヒーをすすりながら、マンガを読むという贅沢も、ひっそり用意されている。男性客たちはこのあたり堪らないみたいである。

 

ある年の瀬、大掃除の合間にお腹が空いて二進も三進もいかず、この店に旦那と来たことがある。ちょうどその年はDavid Bowieが亡くなった年で、私にとっては大きくはないが小さくもない穴が空いた感じのする時だった。

そんな時にこの店でカレーをたべていたら、StarmanやUnder Pressureが流れてきた。Bowie以外にもQueen、Three Dog nightなんかがかかっていた。ずっと聴いていたくなる。もはや根っこがはえて大掃除どころではない。美味しいコーヒーもあるし。

クラシックでも歌謡曲でもJpopでもない、70〜80年代のこのゾーンが心地よいのだ。

 

 そういったわけで、カレーライスが美味しく食べられるのはその店の佇まいと言うか在り方というか、そんなものたちも多分に影響している。きっと、またすぐ行くでしょう。

 

会社を4日も休んだ

数年ぶりにインフルエンザに罹ってしまいました。

 

先週の火曜日。

昼過ぎから急に体がだるくなって来る。

夕方には外出先にアポの予定もあった。

アポをキャンセルしようかとも考えたのだけど、印象を悪くするのも嫌なのと後回しにするのが嫌だったので気合いでこなし、なんとか仕事を終えた。

夜にはさらに輪を掛けてだるさが増しており、その足でかかりつけの耳鼻科へ。

 

しかし、何故かその時に実施したインフルエンザ検査では陰性。

 体温は38.3度。

インフルエンザ以外のウイルスだろう、と診断され、薬を処方された。

 

そのまま必要そうな物を買って帰り、ひたすら耐える。

残念というか、良かったというか、旦那は出張にでていて金曜日まで戻らない。

病気をうつす心配も無いけどだれも助けてもくれない。高熱で一人はしんどい。

 

でも、水曜日、木曜日と、待てども待てども熱は下がらない。

違う病気かもと薄々感じつつ、木曜日は休診で金曜日に再度受診。

 

「熱が全然下がりません。。。」

「じゃぁもう一度インフルエンザ検査しときましょう」となり。

 

検査の結果は10〜15分後、とのことで、呼ばれるのをひたすら待つ。

「tasmさーん」

 

キタ!

 

で先生

「やっぱりインフルエンザでてますね。A型です。」(にっこり)

 

もー、なんだよ。。。

でるなら早く出て欲しかったよ‼️

 

検査は熱が出て数時間だと上手く出ないことがあるらしい。

1日くらい経ったあとの方がはっきり出るみたいなので、皆様も気をつけて下さい。。。

インフルエンザに限っては早ければ早いほど良い訳ではないみたいね。初動の速さがアダになっちゃった感じがします。

 

数年ぶりの高熱、だいぶしんどかったわ。

今日、先生から出勤OKが出れば、明日から社会復帰します。

仕事溜まってるなぁ。。。_φ( ̄ー ̄ )

 

温泉の旅(草津来たぞ編⑤)

前回温泉の旅(草津来たぞ編④) - 或る女の徒然の続きです。

 

さぁ、草津最後の夜を過ごすお宿はこちらです。

 

 

金みどりさん。

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ちゃんとした写真がない。。。

ごめんなさい。

でも、とても清潔で仲居さんも親切そうです。

 

チェックインの時に、

今日はお部屋食ですと言われ喜ぶ夫婦。

やったーヽ(´▽`)/ヽ(´▽`)/

 

ゆっくりするぞ〜。

 

お部屋でまったりしたあと、お風呂へ❗️

ここは、湯畑源泉と、万代鉱源泉と2つのお湯が楽しめるようです。

この日は日曜日だったので、お客さんも少し少な目だったのか、広い湯船を独り占め(≧∀≦)

 

優雅な気持ちにさせてくれます。

エエ湯でした。

 

このあとどうしようと旦那と相談し、お腹を空かせるためにも、お土産を買いにちょっと散歩することにしました。

 

職場へのお土産は、迷ったあげく、温泉まんじゅうにしました!

揚げまんじゅうがすごく美味しかったので、山びこ温泉まんじゅうさんで購入。

あとは草津の温泉の素と、ごま福堂さんのごまだれを購入。

 

買物はだいぶサクッと終わりました。(*´-`)

 

まだ夕ご飯までまがあるので、旦那から

「地蔵の湯に入ろう(`・ω・´)」

とお誘いが。

行きましょう行きましょう。

 

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再び地蔵の湯。

 

こういう浴場は初めてだ!というのが正直な感想。

お風呂の片隅に脱衣所があって、すぐそこにお風呂場がある。洗い場もなし。

そして、湯長さんが座るのかな?と思われる椅子がひとつ。

 他には湯桶がいくつか、無造作においてあり、これでかけ湯を死ぬほどする。

 

それからそーっとお湯に浸かる。

こうすると、あんまり熱くなく、快適にお湯に入れる。

 

でも、草津の湯は強力なんでほどほどに退散しました。

 

共同浴場ってこんな感じなんですね。

 

休日出勤かつ大阪出張

昨日は日曜日でしたが仕事をしてました。

tasmです。

今日はその代休ということで休みをもらっています。

 

若い頃は、休日出勤なんのその。

大阪出張、全然平気!むしろ楽しみ!

と、ものすごく元気で若者っぽかったのですが、妊活を始めてからは出来るだけ体に負担をかけないようにしたいなぁと思うようになりました。

 

だから今は休みの日に仕事に出たら、必ず代休いただくことにしてます。

 

休みの日に働いたら、代休とるのは当たり前でしょ、って思われる方もいらっしゃるでしょうが、仕事が好きで楽しくて仕方ない時期があったんですよ。

あんまり休みもせず、働いてしまったツケが、もしかしたら婦人科系の方に繋がってしまったのでしょうか。。。

 

最近は残業もそこそこに、ホットヨガに行ったり早退けして不妊治療クリニックにいったりして、あんまりストレスを溜めないようにしています。

 

何事も程々に、ていうことかな。

 

タラレバ女どころか喪女だった

東京タラレバ娘が人気ですね。

 

原作漫画では主人公たちは33歳、ドラマでは30歳に設定されてますが、微妙なお年頃に変わりない気がします。

 見ていると、ほんとにグサグサと心をえぐられる感覚で辛くなります。

 

振り返ってみれば、私も25〜30歳くらいまでは彼氏が欲しくて七転八倒していた記憶しかないです。

 

 タラレバさんたちが凄いなと思うのは、男の方から付き合ってと言われるような人たちだってこと。

 

そもそも、私はずっと、自分は結婚できないんじゃないだろうか?と思っていました。

いま振り返ってみると、高校〜大学時代が一番そう思っていたかもしれません。

なぜかというと

  • 女子校育ち(中高)
  • 実家暮らし
  • 親の口出しが多い(過保護過干渉)
  • 男性経験もない、男の子よくわかんない
  • おデブ
  • メガネ
  • 腐女子

 

めんどくさいフラグいっぱい。。。

女子としてのスキルは皆無だし、売れる要素が全くない大学生の私は、ひたすら同質な女子とばかりつるんで、閉じた世界で生きていました。

夜になると孤独に耐えきれなくてひとしきり泣いたりして。

 

服も殆ど黒いTシャツとジーンズだったし。

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いま、振り返ると私、喪女だったかもね。。。

 

でも、20歳そこそこの、自意識過剰で世間知らずなあの頃の自分には想像つかないくらい、その後の10年間にいろんなことが起こり、旦那がいるいまに至ります。

 

いろんなことはまた別の機会に。